【ワイのうつ病クロニクル】大学一年生
前回の浪人時代
さて、第一志望だった東京大学に一浪しても落ちたので、別の東京の私立大学に入学しました。
高校の同級生や、浪人の時の友達も何人いましたが、一人を除いて仮面浪人のことは誰にも言ってませんでした。
東京で親元を離れて一人暮らしを始めました。
とにかく家を出たかったからですね。
第二外国語はドイツ語を取りました。
理由は格好良かったからですね。
当時好きだった「Dies irae」というゲームがドイツ語の厨二病満開だったのでその影響を受けていました。哲学とかニーチェも読みたいとか親近感というか頭も沸いてました。
最近クラウドファンディングでアニメが作られたそうですが見てませんすいません。
あ、ツァラトゥストラはよみましたよ、チンプンカンプンだったけど、良書でした。キリッ!
それで大学では選択した外国語ごとにクラス振り分けられるのですが、あまり馴染めなかったて言うか、遠ざかっていました。
僕は一方で古典だけ、代々木ゼミナールに入学をしました。
授業を受けながら辛くて泣いてましたね、そういえば。ギリギリだったのかな。
あと、化物語に本格的にハマりました。
阿良々木君を自分に重ねたりしてた。まぁ詳しいことは別記事で。
夏くらいに「傷物語」を読んで、とても面白かったのを覚えています。
そのあと終物語プラスαくらいまで全シリーズ買い揃えました。
化物語シリーズは僕の大学人生でとてもとても重要な要素で、
「今度新刊でるから、それまでは生きるか」
という支えになってくれた本です。
テニスサークルに入った
なぜかというといくつか理由があって、まずは中学の時やってたからですね。
他のことよりも親近感があった。
次に大事なのが、他のサークルの入部が早い段階で締め切られたからですね。
ここしか入れなかったんです。
仮面浪人をするつもりだったので、新歓期とか全然楽しくなかったんですよ。
他のほとんどの人は浮かれてて楽しそうでしたが、当たり前ですよね。
入学したからどのサークルに入ろう??ワクワク!!みたいな感情が、僕にはなかったんです。
切り替え遅いよなぁ・・・。
そしてもう一つ、そんなに強制力もないところだったから。
あまり参加するつもりはなく、繋がりだけ持っておこうっていう感じでしたね。
実際にサークル活動を始めたのは夏以降です。
本当はバンドサークルに入りたかったけど、すぐに返事を求められた&結構拘束がキツそうなので辞めてしまいました。
合宿は楽しかったですね。テニスしたり、自然の川で遊んだり、夜は宿で飲み会ではっちゃけたりなど。当時は、複雑な心境でしたが、今考えると多分楽しかったと思いますね。
仮面浪人について限界を感じる
夏前に友人に最近どうよ的な、進捗を聞かれました。
勉強に行き詰まりを感じていた僕は、多分弱音を吐いたんだと思います。
「気分転換に一人旅したらいいやん」と言われましたね。
青春18切符を使って、乗り継いで行くって感じです。
時間を使って電車の長旅
行き先は、岩手と秋田にしました。理由はちょうど良さそうだったから。
距離的にも好奇心的にも。
正直、観光としてあまり下調べをせずに行ったため、どこに行ったかあまり覚えてません。笑
とりあえず行ってみて考えるって感じですね。
岩手で椀子そばを食べて、秋田でナマハゲを見たり男鹿半島行ったり、八郎潟に行って経度140度緯度40度を感じたり、って感じでした。
岩手のアニメイトも行ったような気がします。
その旅の帰りの夜、電車で揺られていると、ふととても悲しくなりました。
都会から離れて、自然と触れて、気分転換したせいでしょうか。
「なんか疲れたな・・・。」って思いました。
今まで無理してきて、それでもなお勉強に全然身が入ってなくて、なんなんだろう。と。
涙が出てきて、車内で泣いていました。
この時、仮面浪人はもうやめようと思いました。
改めて考えると、一人旅とか自然ってやっぱりいいですね。
気分転換とかリフレッシュに有効な手段だと思います。
なので、夏以降は、大学生をするための変化が起きましたね。
- サークルの役職に就いて参加するようになった
- 居酒屋のバイトを始めた
の2点でしょうか。
テニスサークルの役職は、僕の代は全体的に人数が少なくて、全員が絶対に何かしらの役職につかないといけませんでした。
それで僕は唯一経験者だったので、テニスの練習を司る役職に就かざるを得ませんでした。
それはサークルに拘束力が生まれることを意味し、練習に毎週参加を余儀なくされるということでした。
当時はとても嫌でしたが、でも今考えると、これはとても重要な繋がりだったと思います。
居酒屋については、大学生だからバイトしたほうがいいだろう、というのと、お金もほとんど無かったからですね。
仕送りは少し多めにもらえていたので、生活はできていましたが、それ以上は無理でした。
あと職種として居酒屋のキッチンをチョイスしました。
理由は、家でも料理ができるようになりたかったから、です。一石二鳥だからと。
それが面白がってもらえたようで、採用してもらえました。
実際、少しは出来るようになりましたが、なにぶんそんな体力はなかったのであまり家では料理できませんでした。
また今度頑張りたいと思います。
あ、あと大学一年生からは、金縛りにあうようになりました。
目を瞑っている状態で、意識はあるけど体は動かない。
多分金縛りに合う人は、大体がストレスだと思います。
東大に落ちて、次にやったこと
今考えれば、失敗したらちゃんと次に活かしていたんだなぁ、偉いなぁと思います。
我ながら。笑
PDCA回してるじゃん、可愛いな。
さて、東大に落ちて、受かった友人との差を感じました。
自分には、主体性や思考が足りない。勉強以外の根本的な、能力。
そんな感じだったと思います。
自分がやるべきことは、まず攻略をしないといけない。
なので、過去問からやろうと思った。
そして、いくつか本を読みました。影響されたのは以下です。
勉強に関して
- 究極の東大受験必勝法―アタマがいいだけでは合格できない 島田裕巳
- 勉強をする理由 石井大地
この2つは、あまりよく覚えてません。実家帰ったらまた読んでみようかな。
でも確実に影響はされました。
思考をするということに関して
- 思考の整理学
- 君がオヤジになる前に 堀江貴文
この2つは特に今後の人生で影響を受けていますね。
「君がオヤジになる前に」でホリエモンが言ってることは一つで、とにかく
「思考停止をするな、その瞬間にオヤジ化は始まる」
ということでした。
まるで思考をしていなかった(出来ていなかった)僕にはとても刺さる本でした。
「思考の整理学」では、考えることについて。ノートに書き出すことについて書かれていました。
忘れるために書く、とかそういうのですね。
この頃から、僕はメモをするようになりました。
高校の時も、ちょくちょく書いていたけど、そこまで厳密じゃなかったです。
専用のノートを作ったりしていましたね。またこの本を受けて、いつからか、書きなぐりノートを始めましたね。思考の書きなぐり、本格的なメモです。
それから約8年ぐらい書くことは続いています。習慣というかむしろ日常だったり、癖だったりします。おかげでアイデアや思考は、なにかにメモをしないと落ち着かない身体になってしまいました。
あとは飛行機型とグライダー型の人間が参考になりました。
受験勉強はできるけど、論文を書くことができない人間が多い、というやつですね。
そういえば、前田祐二さんの「メモの魔力」を最近読み終わりました。
メモを続けてて良かったなと思える良書でしたね、僕にとっては。
今度アウトプットしようと思います。
一年生は以上でしょうか。
仮面浪人を諦め、自分の能力的な課題に対して取り組んでいくことになりました。
一方で、現実に大学生になったことを意味するので、そのギャップとも擦り合わせていくことになります。
当時はそんなこと考えてませんでしたが、今整理するならこのように説明できますね。
方向転換、とまではいかないけれど、現実に適応して行こうとする。
でも残念ながら理想は消えないままで、満たされない心の隙間とかぽっかり空いた穴は依然として存在しています。
生きている資格を求めているのは変わらないです。
それに気づかず、でも無意識では確かに追い求めていました。
2年生に続きます。
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