【ワイのうつ病クロニクル】大学3年
初、携帯からの打ち込み。なかなかはてなブログも捨てがたいけど、Word Pressも悪くないかも
と思ってた矢先、扱いづらすぎる。保存できなかったり出来たり。これ長文書いた後に起きたら発狂するだろうな。こまめに更新だな。
さて大学3年になりました。この年は、いろいろごまかしごまかししてきて、ギリギリだったものが爆発した年でした。
詳しくは
を参照してください。
三年生は
- 失恋する
- ゼミに落ちる
- インターンで敗北する
- 自殺しかける
- 新しい企画合宿の幹事
- 就活する
- ベースボールベアーのライブに行く
などなど、忙しかったり、ブロークンハートしたりなどしていました。
しれっと自殺しかけてますが、その意味ではかなりターニングポイントの年でした。
まずインターンから始まります。
当時先輩に勧められた、学生人気?ナンバーワンのインターンに応募し、受かりました。
そこで、見事に、打ちのめされました。
優秀な学生が多く、そしてそれに学歴なんて関係ないことを思い知らされました。
高学歴でもとんでもなく優秀でしたが、いままで下に見ていた人たちが、自分なんかよりも遥かに考えていて、行動して濃い人生を送っていること、それをディスカッションやグループワークで解らされました。
IT系の会社で、当時はプログラミングはあまり興味がなかった(過去に小学生でホームページを作ったくらい、アップだけして続かなくて挫折した。)んですが、いろいろ課題が出ました。多分そこで、少しは興味を持ち始めたのかな。
そんななか、評価をされていくわけですね。
そこで優秀な人たちには内定が出されます。そこで、もらえなかったわけですね。まぁ3分の2がもらえなかったんですが、それでも、僕のプライドや自信をズタズタに、跡形もなく粉砕するにはするには充分でした。
今でも、疲れやすさとか関係なかったなと思いますね。それくらい、自分は何もしてなかったし、できてなかった。
当時の「なぜ今の自分があるのか?」というロジックツリーがあるんですが(インターンで身につけました)、そこでもエネルギーがない、自信がないが挙げられていて、おお、当時から課題だったんだな、と思います、
それはさておき、それに打ちのめされた僕は、少しの間、ブロークンハートな日々を送ることになりました。
この挫折の経験が、直接の原因ではありません。
少なくとも、がんばらなきゃなぁと思っていました。
そんな日々の中、親から連絡があったんですね。
あんまり関わりたくなかったので、普段から別に返信自体は遅かったのですが、この時はタイミングもタイミングだったので、無視して返信しませんでした。煩わしかった。
そうやって無視していると、ある日、突然母親僕の下宿先に来たんですね。
実家からわざわざ、心配して来たんですね。
そのことが、僕の自尊心を抉りました。
なぜかは、今もうまく言語化できないのです。
その時は、自分の存在が非常に惨めで、価値のないものに思えました。そうやって心配される存在なのか?俺は何もできない?信頼されていないのか?
子供の頃から、抱えて来たもやもや、自分の嫌いであること、親が好きでないこと。
よく覚えてないですね。
ただ夜のことはよく覚えていて。母親は別の宿に泊まりに出て行きました。
僕は、何もかもが嫌になって、死のうと思いました。
気がついていると、包丁を持って、首筋に当てていました。当時は死に方をいろいろ考えていて、やっぱり冬の雪山で酒と睡眠薬をいっぱい飲んで裸で寝て凍死がいいかなぁと思ってました。
そんななか、早く死のうと思ったのは、よっぽど余裕がなかったんでしょうか。
ただ、全然死ねなかったんですよね。
一思いに引き裂けば、そのまま死ねるんですけど。なかなか力が必要で。
全然力が入らなくて。
とにかく頭が真っ白で、何も考えられなくて。
首筋に刃を当てたまま立ち尽くし、かなりの時間が過ぎていたと思います。
僕はその時、どうやら死ぬことができませんでした。
そのまま寝床に着きました。
うつ病を発症(発覚)したのはその後です。当時はマジで因果関係に気づきませんでした。よっぽど追い詰められてたこと、それによって日々辛かったこと、死にたいとずっと思ってたこと。
なんか全てが麻痺してて、あまりどうも思ってませんでした。
そんななか日々はすぎ、日々忙しく生きる中、就活の時期がやって来ます。
就活は、普通にやりました。
この時身につけた自己分析が、後々とても役に立ってる(?)と思います。
使った本は「絶対内定」という本で、とにかく量を書いて自分のコアを洗い出していく、というものです。
就活の失敗した原因は、これまでと同じく、生きる資格を求めていたことでした。業界の中でも大きい、一流企業にしか応募していませんでした。
何か認められたい、自分はここにいていいんだという、保証が欲しかった。
エントリーシートや面接の対策をしましたが、どれもあまり進みませんでした。書類選考や一次面接だけは通っていたんですけどね。
就活で全滅したところで、ベースボールベアーのライブに当たっていたので、行くことが出来ました。自分で初めて参加したアーティストのライブだったので、楽しかったです。
ベースボールベアーは闇の時代における心の支えでした。
その記事はこちら。
就活全滅という結果のまま、また生きる資格を得られないまま四年生になりました。
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