ショートカットキーを覚えると、寿命が伸びる。
もちろん、Cmd + C を押すとテロメアが伸びる、という話ではない。
ここでいう寿命とは、自分が自由に使える時間の総量のことだ。
私たちは毎日、驚くほど多くの時間を「本当はやりたいわけではない操作」に使っている。
文字をコピーするためにマウスへ手を伸ばす。
メニューを開く。
「コピー」を探す。
クリックする。
またキーボードへ手を戻す。
これを Cmd + C なら一瞬で済ませられる。
1回だけなら、どうでもいい。
問題は、それを人生で何万回、何十万回と繰り返すことだ。
1秒は、小さすぎて無視される
たとえば、ショートカットキーによって1回の操作が2秒短くなったとする。
1日に100回なら200秒。約3分20秒だ。
たいした時間には見えない。
しかし、年間250日それを繰り返せば、約14時間になる。
10年間なら約140時間。
丸一日を24時間としても、約6日分だ。
たった一種類の操作である。
実際には、
- コピー・貼り付け
- ウィンドウ切り替え
- タブを閉じる
- 検索
- ファイルを開く
- 行を移動する
- コマンドパレットを開く
- ターミナルを呼び出す
- Git操作をする
といった操作が一日に何百回も発生する。
一つひとつは数秒でも、それらは毎日徴収される。
いわば「操作税」だ。
ショートカットキーとは、この操作税を減税する技術なのである。
時間だけではない。「脳の割り込み」も減る
ただし、ショートカットキーの価値を「何秒短縮できたか」だけで評価すると、本質を見誤る。
もっと重要なのは、思考を中断しなくて済むことだ。
プログラムを書いているとき、頭の中には一時的な状態がある。
「この関数からこの値が来て、ここで変換して、この条件の場合はこちらへ流れる」
という構造を、ワーキングメモリ上に保持している。
そこで突然、
「えーっと、このメニューのどこにRenameがあるんだっけ」
とGUIを探し始める。
ほんの数秒である。
しかしその数秒間に、頭の中では別のタスクへコンテキストスイッチが起きる。
つまり、
コードについて考える
から、
UIの操作方法について考える
へ切り替わっている。
これは単なる3秒ではない。
思考の流れそのものに割り込みを発生させている。
ショートカットキーを身体が覚えていれば、
Cmd + P
と押す。
意識はほとんどコードから離れない。
だからショートカットキーは、時間短縮装置であると同時に、認知負荷を減らすインターフェースでもある。
優れた道具は「意識から消える」
これはキーボードだけの話ではない。
熟練した道具には共通点がある。
使っていること自体を意識しなくなるのだ。
自転車に乗るとき、
「右足を30度下げて、次に左足へ荷重を移して……」
などとは考えない。
箸を使うときにも、
「親指と人差し指で上側の棒を制御する」
とは考えない。
道具の操作そのものが自動化されると、意識は道具ではなく目的へ向けられる。
キーボードも同じである。
初心者にとって、
「ファイルを探す」
という行為は、
マウスを動かして、フォルダを開いて、階層をたどって……
という「操作」の問題になる。
熟練者にとっては、
「そのファイルを開きたい」
と思った直後には、もう検索窓が開いている。
道具と意思の間にある摩擦が小さい。
ショートカットキーを覚えるというのは、単にパソコン操作が速くなることではない。
人間とコンピュータの間にある翻訳コストを減らしていくことなのだ。
速さは、人生を急ぐためではない
ここまで書くと、
「そんなに効率化して、人生を急いでどうするんだ」
という話にもなる。
これはもっともな反論だ。
ショートカットで浮いた3分を、さらに仕事で埋めたなら、別に人生は豊かになっていない。
むしろ仕事量が増えただけかもしれない。
だから重要なのは、
時間を短縮することではなく、何のために短縮するのか
である。
同じ仕事を8時間かけてやる必要があったところを7時間50分で終えられた。
残り10分で散歩する。
コーヒーを飲む。
妻と話す。
本を読む。
何もしない。
その10分は、自分の人生へ戻ってくる。
効率化の究極的な目的は、仕事をたくさん詰め込むことではない。
どうでもいいことに人生を使わないことだと思う。
人生は、大きな時間より小さな時間でできている
私たちは時間について考えるとき、つい大きな単位で考える。
転職すれば年間○百時間変わる。
通勤をなくせば毎日1時間浮く。
週休3日になれば人生が変わる。
もちろん、こちらのほうがインパクトは大きい。
ショートカットキーを覚えるより、職場の近くに引っ越すほうがはるかに時間を節約できるかもしれない。
だから、
「ショートカットキーを覚えれば人生が劇的に変わる」
というのは言い過ぎである。
ただ、人間の人生の大部分は、こうした巨大な意思決定ではなく、数秒から数分の行為の反復によってできている。
歯を磨く。
スマホを開く。
メールを書く。
検索する。
ファイルを探す。
コードを書く。
ウィンドウを切り替える。
その一つひとつに、小さな摩擦が存在する。
小さいからこそ、普通は改善しようとしない。
しかし毎日繰り返されるものほど、改善の累積効果は大きい。
これはプログラミングに少し似ている。
一度しか実行されない処理を100ミリ秒高速化しても意味はない。
しかし1億回呼ばれる関数なら、数マイクロ秒の改善が巨大な差になる。
人生も同じだ。
頻度の高い処理を最適化する。
ショートカットキーは、人生におけるホットパス最適化なのである。
最強のショートカットは「やらない」
そして、この考えを突き詰めると少し面白い結論になる。
マウス操作よりショートカットキーが速い。
ショートカットキーよりスクリプトが速い。
スクリプトより自動化が速い。
自動化より、その作業自体をなくすほうが速い。
したがって究極のショートカットキーとは、
その操作をしないことである。
毎日同じ文字列を入力しているならスニペットにする。
毎週同じファイルを作っているならテンプレートにする。
何度も同じコマンドを叩いているならaliasにする。
定型作業ならスクリプトにする。
そもそも不要な作業なら削除する。
ショートカットキーを覚えることは、その入り口だ。
「この操作、毎日やっているな」
と気づく感覚が育つ。
その瞬間から、コンピュータの使い方が変わる。
与えられたUIをそのまま使う人から、自分の時間に合わせて環境を設計する人になる。
1秒を笑わない
人生を延ばす方法というと、運動、睡眠、食事、医療といった話になる。
それらが本当の意味で寿命に影響することは言うまでもない。
ショートカットキーにそのような効果があるわけではない。
しかし人生にはもう一種類の寿命がある。
与えられた時間のうち、自分が使える時間がどれだけ残っているか。
60秒かかっていたことを30秒にする。
10クリック必要だったことを2キーにする。
毎日やっていたことを自動化する。
不要な作業を一つ消す。
そこで浮いた数秒は小さい。
けれど、その数秒は間違いなく、自分の人生へ返却された時間である。
だから私は、ショートカットキーを覚える。
仕事を速くするためだけではない。
人生のうち、コンピュータを操作するためだけに消えていく時間を、少しでも取り戻すために。
ショートカットキーは寿命を伸ばす。
少なくとも、「自分で使える人生」という意味においては。
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