【ワイのうつ病クロニクル】大学4年生
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さて大学4年生になりました。
就活が全滅して、院行くか就職浪人(留年)でもしなければならないようになりました。
そんな現実から逃げるように、僕は動画をつくっていましたね。
ゲーム実況動画です。ゆっくりボイスにしゃべらせて、ニコニコ動画にアップしていました。
多分まだ存在していると思います。
これがなかなか楽しかったです。のちに(というかこうして)文章を書くことになるわけですが、その片鱗ですね。
原体験的にはもっと昔になります。
そうこうして学校も行かずにダラダラしているうちに前期が終わってしまい、夏に入りました。
山Pが出ていたサマーヌードのドラマとか見たりしていました。
夏には、ようやく心療内科に通い始めました。
うつ病が発覚して、頑張ろうと思った就活も全滅して、いよいよ何とかしないといけないようになったからです。
割と就活は頑張った方ですね、当時に色々駆使して、試行錯誤も割と取り入れた方でした。
なのにまた望む成果が挙げられず、あまつさえ0という結果で失敗した。
そういうことを受けて、動画を作りつつ
このころに、高校時代の例の友人にシェアハウスを持ち掛けられましたが、病気のことを話して断りました。
一番最初に打ち明けた相手でした。
今これを書いてる段階でも、面と向かって打ち明けてる人は少ないです。
なんでなんでしょうね。ちょっと別項で考えたいと思います。
最初に行った心療内科は正直クソで、すぐ辞めました。
就活に全滅したことを話したのが悪かったと思います。それと関連付けられて、メンタルが一時的にやられているんだろうと思わせてしまったようです。
2件目は有名なところを選んで、そこでは話はとりあえず聞いてくれるという感じでした。
なので、そこに通うことにしました。
そんなこんなで夏休みも終わり、10月になって、大学も後期が始まりました。
治療は開始しましたが、やはり一番の課題は親に病気を打ち明けることでした。
それが自分の中で気の進まない、最もやりたくない選択肢でした。
これまでなんとなく、病気のことには気づきながら向き合っては来ていませんでした。
なんとか誤魔化して、生き延びようとしていました。
生き延びるというか、なんなら大成功して見返してやろう、みたいなことを思っていましたね。
捲土重来という4字熟語を受験の時に高校の担任に教わりましたが、それを何回もやって失敗してきました。
同じことの繰り返し。
その限界が就活の失敗により、認めざるを得ないほど明らかになったという感じですね。
自分は病気で、それを何とかしないことには次に進めない。
自分のやりたいことはまず鬱を治療することだ、と当時のメモを見返すとそう書いていました。日記とかメモはこういうことができるから面白いですね。見返さないとただの場所を取るし注意を散らすだけのゴミだけど。
11月になって、僕は実家に帰って打ち明ける決意をしました。
新幹線で地元へ、そして実家の最寄り駅へ帰りましたが、なかなか決心がつきませんでした。
実家周辺を何時間もうろうろしていましたね。
まだ引き返せる、まだ引き返せると、新幹線終電ギリギリまで。
新幹線がなくなると、なんならネットカフェに泊まって次の日新幹線で帰ればいいと思っていました。
結局、迷いに迷った末、家に帰るとメールをしたのは日を跨ぐ少し前で、家に帰ったのは12時くらいでした。
家に帰り、一息つくと、リビングで集まりました。
そこで初めて病気のことを打ち明けました。
しかし、返答は意外にも「ゆっくり休んだらいいんちゃう」でした。
突然帰ると送られてきたメールで戸惑ったものの、それでなんとなく察しはついていたようです。
さらに話はさかのぼり、大学一年生の時にも心療内科に一度通っていたことが、保険証でばれていたようです。
僕自身はその時はまだどこか認めたくないとか、まだ舞える感じがあったので一度でやめてしまいましたが。
それから実際に休養するとなると、就職はおろか大学にも通うこともしなくなるので、休学をするということになりました。僕はそこまで考えずに帰りました。そういうところを本当は考えるべきでしたね。
そして当面の目標は、休学のためにうつ病の診断書を書いてもらうことと、一人暮らしの家を引き取ることとになりました。休学届は、学生窓口担当の教授に出しに行きました。メールでアポイントを取って、教授の部屋に行くという感じでした。
そこで経験したのは、何があったのか、なぜ休学が必要なのか説明してください、ということでした。
何気ないことですが、自分にとってはとても難しく、新鮮に感じました。
普通の人は、こうやって、生きているんだなと。
人に説明して、時にはぶつかったり揉めたり、コミュニケーションをしっかり取って、進んでくるのだと。
自分の行動や選択に対して、自分の考えや想いを、わかってもらえるように伝える。
自分はそういうのを避けて生きてきました。
そういう勇気がなかった、臆病者ですね。今も大して変わりませんが。
単なる経験や慣れとも言えますし、自分の存在が保証されているとわかっているからこそできるのだとも思います。
そこで終わってしまっても、自分の価値は一切損なわれない。
そんな能力というか、生き方が必要なのだと思いました。
そこでも、自分が今まで誤魔化してきたもの、向き合わずになんとか生きようとしてきたことに改めて思い知らされた気がします。まぁ大学時代はその連続でした。
そんなこんなで休学届は受理され、晴れて療養することになりました。
この時はまだ実家に帰らず、一人暮らしをしていました。
病院に通いながら、投薬治療を受けるという感じですね。カウンセリングはこの時は受けていませんでした。
大学4年生は、うつ病治療のために休学を決める、そんな年でした。
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