【ワイのうつ病クロニクル】高校時代
高校は進学校に入学しました。
プライベートでは、完全にオタクになりました。
平日の夜や休日は、家に引きこもってアニメや萌えゲームで消化する日々。
ハマった理由としては、現実逃避のためですね。
俗にいう、同クールで放送されている全アニメを3話まで見て切っていくスタイルを地でいきました。
ニコニコ動画・Youtubeがちょうど出始めの無法地帯のころで、主に名作とかを漁ってました。
あとは2ちゃんねるのなん実とかにいましたね。なんでもゲーム実況です。
ライブ配信とか、もうその頃からやっていたので時代は変わるもんだな、と思います。
僕は当時配信したかったのですが、プロキシとかがよくわかんなくてROM専でした。
結構、しゅごキャラとか好きでした。そのおかげで今はBuono!と鈴木愛理にハマっています。
今でいう「干物妹!うまるちゃん」なんかに共感しますね、非常に。多分。
なので、アイデンティティに関して悩んでたと思います。現実と家とで結構乖離していたりしましたね。
学校ではあんまりそういうキャラが出せずに、適当にこなしてました。
テニスはテニススクールを続けていましたが、しんどくなって途中から行かなくなってしまいました。
後、ドラムもやり始めました。友達とバンドを組んで1年と2年の文化祭で少しだけ披露しました。
そんなに上手くはなりませんでしたが、少し楽しかったです。
一年生
学校は最寄駅から徒歩20分弱のところで、よく友達とさっさと下校するゲームをしていました。
いま考えると、朝のウォーキングはとても良かったと思います。おかげで凄い適性体重になりました。早歩きしたら有酸素運動にもなりますしね。健康体だったと思います。ストレス解消にもなる、はずだったのに。
この時期前後で、みなさん自分の存在理由とか考えると思います。
僕の出した答えは「そもそも生きている意味とかない」でした。
なので「金持ちになって、バラ色の人生を送ろう」と思いました。影響は天上天下の俵文七からです。あとこの頃はエアギアの影響もめちゃめちゃ受けていました。エアートレック作ったろかな!って感じでした。のちの就活でも使いました。
じゃあどうやってバラ色の人生を送るのか?ということですが、
「行くとこ決まらないなら、とりあえず東大!。MBAをとって経営コンサルタントになったら年収1000万になれるゾ!」
と先生が授業で言っていたので、そのまま乗っかることにしました。ちなみに今はコンサルになりたくないです。
というわけで、このころから東大を目指していました。
自分の才能試しの部分もありますね。どこまで行けるのか?というやつです。
自分の人生を掛けてみて、もし本物なら運命力がどうにかしてくれると考えていました。結果は本物ではなかったので、どうにもならなかったですね。
1年生で文系に決めるのですが、いくつか理由があります。上の経営コンサルタントになるもそうなんですが、文系のほうがお金儲けができそうだから、ですね。
もう一つは、理系があまり得意ではないとわかったからでした。僕はもともと英語が得意だったのですが、数学は微妙でした。ロジカルとか左脳派ではありません。
というか、他に得意な科目・好きな科目なんてなくて、なんとなくやっているだけでした。
しかし高校になって、周りも勉強が出来る人が増えると、それではあまり太刀打ちできなくなってきました。
この頃はそれに関して焦りとかは感じていませんでしたが、無意識では確かにあったと思います。脅威というか危機感というものを感じていたと思います。
しかし、一番自分を揺るがしていたのは、なかなか結果が出ないことです。
成績がクラスでは平均くらい。
特別でも何でもなく、普通なんです。
僕は、自分の存在を「勉強が出来ること」で保っていました。
人より優れている限り、自分はここに居ていい。存在する資格を持っている感覚です。
国家資格とかあるとすごい安心すると思いますが、というか資格を取る理由の半分くらいがそれですが、その自信の素が存在や生命LVであると考えてください。
自尊心・自己肯定感とも言い換えられます。
これがないと、「自分は生きてていいんだろうか?」とか、自分の生命の前提から考えなくてはなりません。
他の人は生きていること前提で物事を進めますが、僕はまず生きる資格を得ることから始めなくてはならなかったのです。当時は全くそのことに気づきもしませんでしたが。
存在の前提に疑問を抱いてしまうと、無意識LVではその整合性を保つための行動指針を取ってしまいます。
つまり存在の資格を得ることを、知らず知らずのうちに最優先事項として行動するようになるのです。
無意識の不安に苛まれて続けると、自然と心の余裕はなくなり、ストレスをずっと感じてることになります。
ここからですね、鬱病の兆候が始まりだしたのは。
うつ病は基本、ストレスを受けすぎて自律神経がバグってしまうことだと思ってるんですが(素人の個人的な意見です)、短期的でも長期的でも起こります。PTSDやトラウマになるLVの衝撃であると短期的に、僕の方は長期的にストレスを受け続けた、と考えられます。
専門家でもないし、本章とは関係ないので、また詳しい話は別の機会にしたいと思います。
話を戻すと、自分の存在が根底から揺るがされるようになっていった、ということが言えます。
ますます、東大に行かなければという思いがますます強くなっていった。
学歴をもって、自分の存在を証明しなければという感覚でした。
2年生
中高一貫の学校でしたので、中学校組と高校編入組がありました。
2年生から、それらがごちゃまぜになるわけですね。
僕は数人だけしか高校編入組がいないクラスに入りました。
馴染むのに時間がかかってしまいましたが、最終的にはなんとかなったので良かったです。
馴染んだ頃の学校自体は楽しかったです。
しかし一方で、勉強は確実に出来なくなっていき、この頃から体調が優れなくなります。
夜は遅くまで起きて、朝はギリギリまで寝て。
布団から出られなくなりました。
特に土日は、昼まで寝て、15時くらいからやっと活動を始める、みたいな生活でした。
頭も朦朧としてとても重く、疲れてやる気も出ないので、ダラダラと時間を過ごして、気が付けば0時みたいなのが日常でした。
宿題が出来ずに、やらないまま学校に行くこともありました。
提出物も答えだけ写して出すことも多くなってきました。意味ないですね、東大行きたいのに。
でも自分の中では、大事なことでした。
体裁を保つというか、自我を保つというか。やはり結構ギリギリだったのかも。
長期休暇なんて酷いもので、マジで何もやっていませんでした。
完全に現実逃避をしていました。
あとこの時期に肺気胸になりました。まぁ関係ないですけど、一応。
ストレスのせいだったかもしれないです。
それで3年生の途中から、バスに乗ったりし始めました。母に車で送り迎えもしてもらうようになりましたね、
3年生の時に肺気胸が再発し、心配だからということでした。とても嫌でした。
3年生
このままではまずいと思い、クラスメイトが行っていた自習室に通い始めました。
我慢強く努力は出来る方だったので、夜遅くまで勉強するようになりました。
もちろん無理やりですよ。魂を燃やしていました。
しかし、結果は一向に出ませんでした。
相変わらずそこそこの成績でしたが、合格ラインには結局届きませんでした。
そんなこんなで月日は流れて、年末のある日に心が折れました。
その日は学校に行かずに、昼から自習室に行っていました。
普段は休む時、学校と連絡を取っているのですが、その日は何も連絡をしてなかったようです。
学校と家は僕の安否確認のために、携帯とかに連絡されていたのですが、反応できませんでした。
携帯が禁止の学校だったので、持ち歩きをしていなかったからです。
それが仇となって、いつものように23時くらいに家の最寄駅についたとき、母の姿がそこにはありました。
心配で、待っていたようです。
そのことに、深く傷つきました。
自尊心が抉られたような、そんな感覚でした。
この時の僕は自習室で「ああ、もうやばいなぁ」と泣きながら勉強して、死ぬ気で頑張らないといけないと精神を持ち直した後です。
模試の結果が出なくて、本当に精神もギリギリだった時です。
家に帰った後、晩御飯を食べていると、
「ひとりで生きているんじゃないんだから」
と父に言われましたが、その時僕は
「いや、ひとりで生きてるわ」
と心の中で思いました。
高校生活での家族との関係は、ほとんどないようなものでした。
家での会話はドラクエの主人公ばりに、「はい・いいえ」のどちらかでしたね。会話したくなかったので。
家に、居場所なんてものは全く感じてなかった。
唯一の接点が食事でしたが、ご飯をあまり噛むことをせず、掻き込んでいました。
一秒でも早く、部屋に戻りたかったからです。
食べ物を口いっぱいに含んで涙目になるのが、切ないながらも安心する行為でした。ちょっとした自傷行為だったかと思います。過食とかで太らなくてよく済んだな・・・。
何をしゃべられてもイライラして、黙ったり無視したりしてました。
反抗期とかと勘違いされるかもしれませんが、確実に違います。
憎悪とかそういうものでしょう。そういうものが反抗期ですと言うならそうだと言えますが。
その日から数日間、メンタルがやられ、全てが無価値に感じ、学校に行けなくなりました。布団から全く出られなくなりました。とっても大事な時期なのに。
ちょうど最終面談があったので、その日だけ学校に行き、友達とも少しだけ話しました。それで持ち直し、学校にもう一度行くことにしたのです。
入試の結果は散々で不合格でした。一応センターの足切りはギリギリ通過できました。
その後浪人して、もう一回受けなおしますが、また不合格でした。
一回目は後期試験を受けることも出来ずに、呆然としていたと思います。
浪人時代はまた書きますが、また別の現実逃避だったと思います。
以上のように、高校時代は承認欲求を満たすための生き方だったと言えます。
自分の存在を保証するために、学歴を求めた結果でした。
また、浪人・大学時代もこの生き方は続きます。
自分の存在を保障してくれるものが、果てしなく大きな理想の場合は、追い求めるのには時間がかかります。
結果が出るまでは自我を保てます。
夢を追いかける途中で、受かっても落ちてもいないから。
しかし、いつかは夢からは醒めます。現実に生きているので。
そして、追い求めている間は、現実を見ることができず、対処も出来ません。
考えも凝り固まり、どこか必死で、狂気じみてて。
その獲得のために費やしたものが、大きければ大きいほど、得られなかった時のダメージは果てしなく深いです。
欲しかったのは何でしょうか、学歴でしょうか、能力でしょうか、愛でしょうか。
こうした負債を、返していくことになります。
大学時代に続きます。
4件のコメント
こに · 2019年4月29日 4:05 PM
私も浪人しはじめて悩んでいるので、浪人の話気になります
【東京大学入学式祝辞】東大落ちて鬱になったワイの主張 – ひとりで考えるのは疲れた · 2019年4月29日 1:43 AM
[…] 【ワイのうつ病クロニクル】高校時代 […]
【ワイのうつ病クロニクル】浪人時代 – ひとりで考えるのは疲れた · 2019年5月4日 2:48 AM
[…] 【ワイのうつ病クロニクル】高校時代 […]
ワイのうつ病クロニクル 目次まとめ | ひとりで考えるのは疲れた · 2020年2月2日 4:18 PM
[…] ・高校時代 […]