この3月で35歳になりました。
プログラマには35歳定年説というものがありますが、まぁ諸説ありです。
大学病院にセカンドオピニオンに行きました。
正直、何かもうちょい、わかりやすい答えが欲しかったんですよね。これが原因です、とか、もっとこうしたらよくなります、とか。そういうやつである。
でも、返ってきたのは、もっと地味で、もっと嫌な話というか、一方で医者や僕からすると「ポジティブな話」だ。
要は、僕は「医療における治療の対象ではない」ということだった。求めすぎていた、期待しすぎていたことがわかった。もっと元気よく働きたい、プラスαを積み重ねたい、勇気凛々・意気揚々・元気溌剌、になりたかったということだ。うつ病の患者にしては僕は「元気」だったのだ。
生き方とか考え方とか、そういうところを変える必要がある、ということだった。思い込みの力ってすげーっていう話だ。ストレスとかマインドフルネスとか瞑想とか、うつ病周りの治療で認知行動療法とかやると思うが、その辺りの話ですね。
はぁー、またそれかよぉ、またピネだー、って感じですね。
実際、何回目やねんという気持ちもある。だって前に病気になった時もスクラップ&ビルドしたつもりだったんだもん。結構やったはずだったんだけどな。訓練してるから、技術もありますということで解決済みの案件にしていたんですよ。電流は効かない。
ただ、今回は、より重い。
以前にもまして、その重要度というか緊急度が上がった感じがある。
もう、「まぁそのうち考えよう」で済ませるには、ちょっと無理がある気がしている。
ちょうど35歳になりますし、振り返るいい機会だということで。
何が起きていたのか。
自分は何に追われていたのか。
AI時代とかプログラマ定年説とか、そういうものに何を感じていたのか。
そして、これからどうするのか。
そんなこんなを書いていきます。
直近、体調がかなりまずかった
まず、直近の話を書きます。セカンドオピニオンに行こうとしたきっかけでもあります。
年末年始から一月二月にかけて、体調がかなりまずかったんですよ。かなり終わっていた、ほぼ働けていなかった、という方が実感に近い。
症状としてはうつ病と同じで、体が動かない。横になっているのが一番楽な姿勢。何もできない、したくない。ただでさえお風呂キャンセル界隈だったのがひどかった。
一方で12月とかに治療とか受けていて、rTMSは効かなかったんですよね。結構毎日通ってビビビビって電気刺激を受けていたのに、ほとんど効果がありませんでした。
行き詰まりも感じていた。
頑張ればどうにかなるとか、気合いでなんとかするとか、まぁそれはずっとそうだったんだけど、次の打ち手がもうなく、そういう話ではない場所に来ていたんですよね。健康行動を最適にとっていればいいんじゃないかと思いつつも、じゃあそのための元気を下さいという典型的なデッドロックですね。
つまり今回の話は、何となく将来が不安です、みたいな話ではない。
ちゃんと体調が崩れて、ちゃんと生活と仕事に支障が出て、これまでのやり方では無理だとわかってしまった、という話である。
ここ数年、何に足踏みしていたのか
今回のことは、別に急に起きたわけではない、と思う。いや急に起きたわけなんですけど。
もともとうつ病はあったし、最近また心療内科にも通い始めていた。
ここ数年ずっと、どこか足踏みしている感じがあった。
今の会社は、とても良い。
かなり働きやすいし、環境としてはむしろ恵まれている方だと思う。
だからこそ、その中でいまいち +α を出せていない自分に、余計に歯がゆさがあった。
もっとできるはず。もっとやれるはず。
この環境なら、もう少し前に進めるはず。
でも、思ったほど積み上がっていかない。なんかうまくいかない、思い通りに頑張れない、何か噛み合ってない感じがずっとありました。
その少し前には、無理に断薬もしようとしました。早く「もう大丈夫な側」に行きたかったんだと思う。家のローンを組めないとかいう話もあるし、
薬なしでもやれる、ちゃんと働ける、もっと動ける、そういう状態に。
でも、うまくいきませんでした。
去年の秋ごろ、少し回復してきた時期には、勉強会とかハッカソンにも顔を出すようになった。
動き始めている感じはあった。何かを取り返したい気持ちも、たぶんありました。書籍もそこそこ買って積読も捗りました。
そして2025年は本当にAIエージェント、とくにコーディングエージェント元年みたいな年だった。
AIの進化がえぐかったし、正直、かなり焦ってはいた。それはほとんどの人がそうだと思う。
ここで乗れないとまずいんじゃないか。
自分が今までやってきたことは、急速に価値が落ちていく、もう人間がコードを書く時代は終わってしまった。
じゃあ自分は、何で価値を出すのか。そういう不安がかなり強くなっていた。
一方で、会社にも事業上の緊張感があり、全社的に頑張りましょうみたいなことになっていた。バリューを発揮しないといけない。成果を出す必要がある。成果を出すには、ある程度は量をやる必要がある。
回復してきた感じもある。
でも焦りもある。
頑張りたい。
でも無理もきかない。
進みたい。
でも思ったより進めない。
そんななかでやっていくしかない、できるはず。
そんな、微妙に噛み合わない状態のまま年末年始に入った。
そのあと、体調が終わった。
だから今回の話は、突然壊れた話というより、
ここ数年の停滞とか焦りとか無理とか、「もっとやれるはず」という気持ちが、まとめて表に出てきた話なんだと思う。
これまでの経緯
今回のことは、ここ1年だけ切り取ってもあまりうまく説明できないので、これまでの経緯を簡単に書いておきます。
- 2014年
大学生活とかもろもろ人生がうまくいかず、うつ病を発症。実家に帰って療養した。 - 2017年
大学を卒業した。 - 2018年
2018卒として新卒入社。SIerで、Androidエンジニアとして働き始めた。 - 2020年
スタートアップに転職した。 - 2022年
また心療内科に通うようになり、その後、退職と転職をした。 - 2023年〜現在
今の会社に入った。かなり働きやすい会社で、フルスタック寄りにいろいろやるようになった。 - 2025年
AIの進化・加速にかなり焦りを感じた。LLMを組み込んだアプリケーションの領域に鞍替えを画策。 - 2025年末〜2026年初
年末年始をまたいで体調が大きく崩れ、今回の話へ。
病気とは10年くらい付き合っているわけですが、なかなかうまくいかないもんですね。
それ以前の話とか詳しい経緯はワイのうつ病クロニクルを読んでいただけるとおそらく大体把握していただけると思う。

睡眠時無呼吸症候群だし、ヘルニアだし、たぶんADHDだし、HSPだし、内向型、あーめんどくさ。
でも一方で、着実になにかは積み上がってきたとは言ってあげたい。そういうことにしよう。
結局、何者かになりたかった
その長い流れの中で、ずっと変わらず残っていたものに今更ながら気づいた。
「何者かになりたい」「なんか実績出したい」という気持ちである。またお前か、捨てたはずなんだけどなぁっていう。
もう大それたことは捨てた。有能たちと争うのはやめた。違うレースで、自分なりにいけばOKじゃん。それで最高やん。そう生きて行こうと思ってたはずなのに。
でも、何かを成し遂げたい、ちゃんと成果を出したい、有能でありたい、みたいな気持ちはずっとあったんですよね。残念ながら。こんな自分でも、一発逆転かましてやりたい、時が来たらかませ。アイワナビー勝者。
置いていかれたくない。負けて惨めな気持ちになりたくない。
市場価値がない人間にはなりたくない。
仕事ができない側で終わりたくない。
問題を解決できなければゴミなんです、みたいな感覚が強くありました。コムギとか利根川の言っていたやつですね。
たぶん、自分はずっと、能力とか成果とか実績みたいなもので、自分の居場所を証明しようとしていました。
何か秀でていないと、自分には権利がない。
発言権も、居場所も、認められる資格もない。
そういう感覚がかなり根っこにある気がする。
そもそもそういった感覚に駆り立てられていきた結果、最初のうつ病になったのに。
うつ病から戻ってきて、いろいろ戦略的に考えて、SIerに新卒で潜り込みSEになって、そのあとソフトウェアエンジニアを職業として採用して生きていくことを決めた。
だから、ちゃんとやりたかった。
プロフェッショナルでありたかった。
もちろんそこには、先人たちの、巨人たちに対するリスペクトもあった。
そして、自他ともに「ちゃんとやってる人間だ」と思える側にいたかった。
一方で、ずっとどこかに「自分は能力が低い」「要領が悪い」「放っておくと置いていかれる」という感覚もある。
だから余計に、不安で自分を駆動する。
頑張らないと終わる。
もっとやらないと終わる。
もっと結果を出さないと終わる。
そういう脅威で、勉強も仕事も、かなり動かしてきたと思います。
その先にあったのは、一発逆転への期待だったのかもしれない。
今は足りていなくても、どこかで跳ね返せるんじゃないか。
何か大きな成果を出せば、まとめて取り返せるんじゃないか。
そういう願望を、たぶんずっと完全には捨てきれていなかった。
承認欲求なんてもうない、と言いたい気持ちはあります。だってもう捨てたはずだから。
でも、全然ある。
プライドもある。
見返したい相手もいる。
ちゃんと認められたい気持ちもある。
そのへんは、もう少し素直に認めた方がいいんだと思う。
ただ、その気持ちを燃料にして走り続けるやり方は、どうもコストが高すぎるようです。いやそれも知っていたはずなのに。短期的には動ける。でも、長期的にはかなりしんどい。そんな当たり前のこと。
何者かになりたい、という気持ち自体を、全部捨てる必要はないのかもしれない。でも、その気持ちの持ち方とか、使い方とか、駆動のさせ方は、もう少し見直さないとまずい。
今のままだと、自分を追い込む構造のままになってしまう。二の舞というか。三の舞くらい。水の呼吸 参ノ型・流流舞い!バカの呼吸!
35歳プログラマ定年説とAI時代
いろいろ言われる35歳プログラマ定年説だけど、要はいろいろ環境が変わるから変化しないといけないよね、みたいなことだと思う。家庭だったり、会社だったり、人間関係だったり、技術だったり、市場だったり、世界情勢だったり、いろいろ変数が変わってそれまでとガラッと世界が変わってしまうということなんだろう。
ただ今回のAI時代は、ご存知の通り激動の時代である。変化のスピードがMAXに限界突破したし、コードを書くことそのものについては、もうAIの方が速いし、うまい場面もかなり多い。自分がちまちま書くより、AIに投げた方が早いし、それっぽいものもすぐ出てくる。
もちろん、冷静に考えれば、まだ人間がやることはありますよ。設計とか、方針とか、タスク分解とか、何を作るか、何を捨てるか、どこまでやるか、何を評価するか。そういうところはまだかなり人間の仕事だと思う。AIは便利だけど、何が成功で、何が失敗で、何を優先するかまでは、自動では決まらない。
いやそれも時間の問題だけどな!
AIは増幅器だ、とDORAのレポートで言われてたような気がする。使う側の雑さも増幅するし、能力も増幅する。だから結局、人間側の能力とか判断とかセンスとか、そういうものが要らなくなるわけではない。
ただでさえ要領が悪くて、物量でカバーしてきた自分には、また別の焦りが出てくる。
知っての通り、いまというのは過渡期である。
でもこの先、人間が時間あたりに処理できる情報量とか、体力とか、キャッチアップの速度とか、そういうものの差が、今まで以上に露骨に出る世界が来る気がしている。もはやIQが足切りとなる世界が近い将来来るとおもってる。そこではキャッチアップと体力ももちろん勝負の境目になって、市場価値がついていく。
そんな中でぼくなんかがもう勝てるわけないから、もうニッチなポジションをとって誤魔化し誤魔化しで、はたらくしかないんだ。要領もよくないし、体力も不安定だし、ずっと高出力で走れる感じもしない。。から、全部を取りにいくのはもう無理なんだと思う。
そういう未来は、わりと普通にありえると思っている。
機械とかのほうが価値出せるやん、共産的な社会で人民は皆ハッピーだ。ベーシックインカムが配られたらいいんだけど、自給自足の農業を始めるのがいいんだろうな。ぼくもかえろうどこかに帰ろう、人生ひっくり返って、ばいばいばい。
なのでたぶん、これから考えないといけないのは、壊れずに続けられる形で、それでもなんとか価値を出していく、そういう戦い方なんだと思う。
今回わかったこと
今回わかったことがあり。
いや、前から何となくわかっていたというか、ブッダあたりが言っていたことを、もう一回ちゃんと突きつけられた、という方が近い。
人は、出来事そのもので消耗するだけじゃない。その出来事をどう受け取るか、どう解釈するか、どう反応するかでも、かなり消耗する。それを改めて認識する必要がある。
体調が悪い。AIの進化が速い。思うように働けない。それ自体もしんどい。
でも、本当に削られていたのは、思考とか意識のリソースを持っていかれていたのは、その事実に対する自分の反応や解釈の方だと、改めてセカンドオピニオンの結果を受けて考えた。
遅れている。置いていかれる。このままでは価値がなくなる。もっとやらないと終わる。そういう予測とか脅威とか比較で、自分をかなり動かしてきた。
短期的には、それで動ける。でも、長期的にはコストが高すぎる。
感情って、単なる気分の問題じゃなく、焦りとか不安とか惨めさとか怒りとか、そういうものが立ち上がると、それだけで注意とか思考のリソースが持っていかれる。頭の中のメモリを食う。しかも反応の仕方しだいでは、気分だけじゃなくて、身体の方まで引っ張られる。呼吸が浅くなるとか、肩がこわばるとか、胃が重いとか、寝つきが悪くなるとか、そういうことが起きる。もちろん気分や感情を作るのは脳内伝達節いつやホルモンの分泌や自律神経と関係してくる。
要するに、出来事に反応して終わりではなくて、
解釈 → 感情 → 身体反応 → さらに消耗
みたいなループが起きる。
たぶん自分は、かなり長いこと「不安で駆動する」やり方をしてきたんだと思う。仕事でも、受験勉強でも、わりとそうだった。塾とか結構スパルタで、けっこう怒られながら・怒られるのが怖くてやってたもんね。危機感とか、惨めさとか、取り返したさとか、そういうものを燃料にしていた。フアンフアンの不安ドリブンなんだよね。
しかも、体はそれとは別に、ただ生きているだけでもエネルギーを使っている。消化もするし、内臓も動くし、細胞も働く。体調が悪ければ、それだけでも基礎コストは上がる。つまり、もともとの残りMPが少ないところに、さらに不安とか比較とか脅威で自分を殴っていた、みたいな感じだったんだと思う。この辺のHPとMPとか睡眠をとって回復するという体力のモデルは、あまり説明できていないことが多いんだと思う。それを超えた何かを確立できたり掴めたらいんだけどな。
疲れについても、最近少し見方が変わった。
前は、疲れって単純に「頑張った結果としてエネルギーが切れた状態」だと思っていた。でも実際には、疲れってもっと主観的・物質的・化学的なものなんだと思う。体の中の負荷とかストレスとか、いろんな変化を脳がまとめて、「もうきつい」「これ以上はしんどい」「休んだ方がいい」と感じさせる状態というか。疲れがある、ということじゃなくて、疲れている状態である、ということ。ただの残量表示というより、体が出してくるシグナルである。
疲れについてはヘルペスウイルスがどうたらサイトカインの炎症がうんぬん、ミトコンドリアがどうたらとか書籍を読んだのにいまいち分かってはいないが、知識としてはある。その辺のアプローチをしていくのが良い。
だから、同じ出来事でも、どう受け取るかで疲れ方が変わる。記憶とか言葉だけでも、人はしんどくなれる。逆に、言葉や解釈しだいで少し元気にもなれる。
ここはかなり大きい。
外で何か嫌なことが起きた時だけじゃなくて、思い出しただけでも反応するし、まだ起きてない未来を想像しただけでも反応するし、頭の中で自分に何か言っただけでも反応する。
つまり、自分を消耗させていたのは現実だけではない。記憶とか、予測とか、思考の癖とか、そういうものでもかなり反応していた。というのはうつ病の起源みたいなNHKあたりの特集で昔、見たことがある。人間は言葉と記憶によってもストレスを感じることができ、危機を回避することができる。
しかも厄介なのは、それが一時的な気分ではなく、もうある程度は身についた反応になっていることだ。何か嫌なことが起きた時だけじゃなくて、記憶とか予測だけでも反応してしまう。
何かを始める時に、比較とか危機感とか惨めさで着火する。勉強する時も、仕事をする時も、「やばい、遅れてる、無能だ、このままだと終わる」みたいなノリでエンジンをかける。勉強しようとすると「遅れてる」「もう終わりだ」、わからないことがあると、なんかしらんけどすごい焦る。対戦ゲームで負けても、ただ負けたでは済まず、なんか存在ごと負けた感じがする、惨めさが来る。そういう回路が、もうだいぶ身についている感じがある。もちろん面白いとか楽しいとかもあるけどだけどね。
まだ何も起きていないのに、勝手に消耗する。勝手に追い込まれる。勝手に焦る。記憶や言葉=思考にによって身体反応が引き起こされる。これは人間が持つメカニズムである。期的には、それで動ける。脅威で起動するのは、即効性がある。でも、長期的にはかなりコストが高い。うつ病のゼブラフィッシュだ。これもまた昔見た鬱病の起源みたいなNHKのなんやかんや。
だから今回必要だと言われた「生き方や考え方を変える」というのは、もっとポジティブに生きましょう、みたいな雑な話ではないんだと思う。
頑張り方を変える。思考の仕方を変える。何を報酬にして、何を脅威とみなすかを変える。内なる声の調子を変える。そういう、もっと地味で、もっと根っこの運用をみなすべきだ、という話なんだと思う。まぁカウンセリングとか認知行動療法でやるやつだよね。
反応とか記憶とか思考とかは、回路とは言い得て妙であるようにニューロンとシナプスで構成されているんだと思う。ソフトというよりハード的な構造の問題なのである。ただ大事なのは神経可塑性があって、有機的に作り直せるという点なのだ。
前にも一度、そういうスクラップ&ビルドはやったつもりだった。一回死んで生まれ変わって、作り直し他はずだった。でも、どうも足りていなかった。あるいは、状況が変わって、また別の形で同じ構造が出てきたのかもしれない。
少なくとも今回わかったのは、能力が足りないから苦しい、元気やエネルギーが足りてないから努力ができていない、成長できていない、だから健康になったらエナジーがみなぎってたぎってるからいっぱい頑張れるよね、やったね、だけではないということだ。もちろん能力の問題もある。でもそれ以上に、自分をどう動かしているか、その回路の方がだいぶ効いている。
だから次に変えるべきなのは、目標の大きさだけじゃない。反応の仕方とか、駆動のさせ方とか、そっちなんだと思う。アゲインですわ。
じゃあ、これからどうするのか
で、どうするねん、という話である。
何も決まってません、というのが答えですが、バン!
これまでは、これからも?何事も要領悪く、ばか真面目に?取り組んできたんだと思う。その無駄な努力をやめなさいを、本当はもっとできているつもりだったんだけど、うまく身に付かなかったみたい。知識としてはあったんです!
なので真剣さを捨てるのではなく、燃料を変えたい。
「やばいからやる」だけじゃなくて、「これは面白いからやる」「これは大事だからやる」「今日はここまで進める」みたいな、もう少しマシな起動の仕方を増やしたい。
次に、全部を取りにいくのはやめる。これはやっていたよね。それをさらに狭める。
AI時代には乗りたい。少なくとも今は、LLMを使ったアプリケーション開発とか、evalsとか、LLM as a Judgeとか、その延長にある小さめのエージェントやワークフロー設計みたいなところに賭けるのが現実的なんだと思う。
学び方も変える必要がある。
手を動かしながら学ぶこと自体はやめない。自分は、綺麗に理解してから進むタイプではなくて、触って、壊して、詰まって、ようやくわかるタイプなんだと思う。そこはもう受け入れた方がいい。
ただし、無制限に消耗しながら地雷を踏み抜くやり方はやめる。今までは、その授業料を体力とか自己肯定感で払っていた感じがある。だからこれからは、もう少し小さく試す。時間を区切る。テーマを絞る。学びを残す。再利用できる形にする。
あと「健康になってから頑張る」ではなく、今の制約込みで回る形を作らないといけないんだと思う。これもずっとそうだったんだけど、求めすぎていた。完全に見切りをつけたいんだけど、果たしてできるんだろうか。
睡眠の問題もある。メンタルの波もある。身体も万全ではない。集中力とか不安の強さにも偏りがある。元気になったらやりたいこともいっぱい出てくるだろう。
今の自分で回る設計。今の体力で続く働き方。今の自分でもなんとか価値を出せるやり方。そういうものを考える必要がある。
EMみたいな方向も、完全に捨てるわけではない。でも、今ここで無理に答えを出さなくていいとも思っている。
人を育てるとか、意思決定を引き取るとか、チームにとって良い構造を作るとか、そういうことに興味がないわけではない。ただ、それを自分の本命にするのかどうかは、もっと小さく試してからでいい。今はまだ、「向いているかを見極める前に、向いていそうなふりをして背伸びする」フェーズではない気がする。そういうやり方で成長していく戦略ももちろんあるんだけどさ。
たぶん、勝ちの定義も変えないといけない。
一発逆転するとか、圧倒的な成果を出すとか、誰かを見返すとか、そういうものだけを勝ちにしていると、また同じところに戻る。もちろん、そういう気持ちがゼロになったわけではない。でも、それだけを評価軸にすると、自分が持たない。
だから、壊れずに続けられることも勝ちに入れる。恐怖以外の燃料で動けることも勝ちに入れる。AI時代の中で、自分なりの軸をひとつ作れることも勝ちに入れる。面白いと思える時間が少し残ることも勝ちに入れる。楽しい方がいいし、周りも幸せな方がいい。
そのために、戦い方そのものを変える。
要するに、何者かになることを完全に諦めるわけではない。いやまぁ諦めた方がいいんだけどさ。でもインプレゾンビやインフルエンサーが跋扈するこの世界、そんなのは無理だ。でも、今までと同じやり方で何者かになろうとするのは、たぶんもう無理なんだと思う。
肩肘張らず、でも流されず、時代の流れはちゃんと見ながら、自分が壊れずに続けられる場所へ集中投資する。
たぶん、これからやるのはそういうことなんだと思う。
その一歩として、まずはプロフィールを書き直そうかな。
いや、そんなんでいいのか?いやしらんけど。
おわりに
35歳になって、うつ病のこと、体調のこと、AI時代のこと、プログラマ定年説みたいな話、そういうものに改めて向き合ってみたら、結局また「生き方とか考え方を見直す必要がある」というところに戻ってきた。
実際、何回目やねんという気持ちもある。
でも今回は、というか今回も、実際に体調が崩れて、これまでのやり方では回らないことがかなりはっきりした。
正面から勝つのは無理だ。しかも別に勝たなくてもいいんだしな。でも一方で、敗者には優しくないこの世界ではうまく生きていたいと思いたいのは、それはエゴなんだろうか。
真面目にやるとしたら、コツコツ、日記書くとかジャーナリングするとか、自分史をまた書くとか、マインドフルネスとか深呼吸とか身体反応を見つつ、カウンセリングも継続しつつ認知行動療法っぽいことでちょっとずつ変化して、うまく積み上げていくんだろうな。いまいちどマインドクラッシュした海馬瀬戸のように自分の心のピースを一つずつ組み上げていくんだ。今度は間違わないように。
再生・再建・再構成・再構築・再編成・再設計、インクリメント!
あーけんこうになれたらいいのかなぁ

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